【解説】

知行合一、不善の念や私欲を徹底的に無くすこと。知は行いのはじめであって、行いと別のものではない。また知が成し遂げられた物が行いであって、行いは知から離れたものではない。両者は一つにつながっているもので離すことは出来ない。


竜場の竜岡書院での陽明の高い評判はだんだん広まって、貴州省の長官や学政官の耳にまで届きました。そこで、彼らは省の都にあった書院を修復して陽明を院主に招き、子弟を引き連れて講義を聴くことにしました。そのときに講義した陽明の話がいわゆる知行合一説であります。そこで陽明がいったのは、右に掲げているように「知は行ないの始めであって、行ないとは別のものではない。また、知が成し遂げられたものが行ないであって、行ないは知から離れたものではない。両者は一つにつながっているもので、離すことはできない」ということであります。これが陽明学で有名な「知行合一」という教えでありますが、この考え方は、世の中で主流となっていた朱子学の考え方とは正反対で、世問の人に対して衝撃的な説でした。といいますのは、朱子学では「先知後行説」という考えを唱えていたからです。

つまり、実践する前に先ず事物の理法を窮めておかないと、その実践はでたらめな行ないになると朱子は考えたのです。先ず知った後で行なうという考え方は常識的で分かりやすいものでありました。そこで、ある日、偉い門人の一人が陽明に「誰でも親に孝行しなければならないと知ってはいますが、現実に孝を尽くすことは中々できません。そうしますと、知と行ないとが別のものであるの、は明らかではないでしょうか」と尋ねたことがあります。これに対して陽明は「そのように知と行ないとが二つに見えるのは、その人の考えが私欲におおわれているためであって、知行の本来の姿ではない。知っておれば必ず行なうものだ。知っていて行なわないのは、要するに知らないのだ」といい、「だから、昔の人は真の知行は美しい色を好み、嫌な臭いをにくむようなものだ」と説いたのだ。

つまり、「嫌な臭いを嗅ぐのは知に属し、嫌な臭いをにくむのは行に属するが、嫌な臭いを嗅いだ時は既にそれをにくんでいるのであって、それを嗅いでから後に別の心を働かせて嫌な臭いをにくむのではない。例えば、鼻づまりの人は嫌な臭いを出すものが目の前にあっても大してにくみはしないが、それは嫌な臭いを知らないからだ」と教えたのであります。

また陽明は知行合一について、「今の学者は知行を二つに分けるから、一念が発動した場合、それが不善のものであっても、まだ行に至っていないからと止めない」ともいっています。つまり陽明は、不善の念や私欲を徹底的になくすようにと教えたのであります。

【場所】龍徳院

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曹洞宗洞松寺(矢掛町、小田郡)は末寺であり、本尊は釈迦如来です。元和三年(一六一七年)、山崎家治公は因州若桜城から三万石の成羽藩主として入封し、祖父である堅家公の法名である龍徳院を寺号として、成羽の地に山崎家の菩提寺である龍徽院を建てました。

家治公は後に天草當岡に四万石、讃岐丸亀に五万石と移封されました。それぞれの地に移った後、孫である治頼天折の時期に龍徳院は高松に移転しました。しかし、寛永十五年(一六三八年)に家治公が天草に再び移封された際、彼に従わなかった家臣たちが成羽の龍徳院を松山領に移築しました。

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【アクセス】

716-0019
岡山県高梁市寺町2206

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